2013年05月04日 | 仲間 |
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箕田誠治郎さん
1日、東京ストアー創業者箕田能昌さんの弟で東京ストアー関連会社の豆腐・蒟蒻の「にのみや」パン・お菓子の「あずま」等、製造会社を経営されていた箕田誠治郎さんがお亡くなりになった。
享年84歳。
昨日3日夜、金沢で営まれたお通夜に出席し遺影に手を合わせてきた。
誠治郎さん(いつも誠治郎さんと呼ばせて頂いていたのでここでも使います)と初めてお会いしたのは僕が家業を継いだ翌年1886年の8月。愛知県三ヶ根山で行われた栄える会という勉強会のセミナーに参加した時、誠治郎さんも出席されていてお付き合いが始まった。
大変腰の低い方で豆腐製造という同業者ということもありいろいろ御指導頂いた。
誠治郎さんとの思い出で一番印象に残っているのは僕の結婚披露宴で乾杯の御発声をしてくださった時の事。
その時の挨拶で誠治郎さんは
「山下君、榮子さん、おめでとうございます。
(ちょっと間をおいて)
山下家、小幡家の
あえて言います。御両親様、おめでとうございます。」
と挨拶を始められた。
僕が片親で育ったこと、榮子のお父さんも10数年前に亡くなって居ないことを承知の上で言われたのだ。
生長の家で親孝行を昔から学んでおられた誠治郎さんならではのお言葉だった。
昨日、久し振りに結婚式のDVDを観で誠治郎さんの御挨拶を改めて聞いてジーンときた。
2年ほど前だったか、ある会で偶然誠治郎さんの奥様と会った時、奥様が「山下さん、主人も足がちょっと不自由になりいつも家に居ますから遊びに来てください」と言って下さった。
「久し振りに誠治郎さんと話がしたいな」と思いながら時間だけが過ぎて、去年の秋、誠治郎さんが病院に入院されていると聞いて病院に行ったが退院されていた。
その後、行商のついでに御自宅に伺ったがお留守だった。
今年2月、東京ストアーの社長様が会社に来られた時「誠治郎さんに会わせていただけませんか?」とお願いした。その日の夜、奥様から電話が入り「今、施設に入っておりますので山下さん、いつでもお電話下さい」と言って下さった。
せっかくお電話頂き直ぐ行けばよかったのに何だかんだとまた時間が過ぎ、2週間程前、奥様に「お会いさせて頂けませんか?」と電話したら「山下さん、御免なさい。今日ちょっと熱が出て病院に入院したのでまたの機会にお願い出来ませんか?」と言われ会えなかった。
そして一昨日、東京ストアー梅村バイヤーから「お亡くなりになった」と電話が入ったのだ。
昨日のお通夜、焼香の後、御家族に挨拶に向かうと奥様が「山下さん、この前は御免なさい」と言われた。
僕は首を横に振り「僕がもっと早く行けばよかったのです。済みませんでした」とお詫びした。
「山下さん、遊びにきてください」と言われた時に直ぐ行かなかった事が悔やまれてならない。
自分の行動力の無さが歯痒い。
誠治郎さん、お世話になりました。
誠治郎さんの御冥福をお祈りします。
合掌。
最後までお読み下さいましてありがとうございました。
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