山下ミツ商店の山下浩希です。
白山麓木鶏クラブで一緒に勉強している大森豊誠さん(今年の1月、白山麓木鶏クラブ1月例会後に撮った写真です。後列左から二人目白い服を着た方)が20数年勤めた勝山市役所を今日退職しました。
大森さんとは10数年前、作家の高橋治さんが主宰している白山麓僻村塾で知り合いました。大森さんの実家は割烹を両親が経営されていて知り合った頃から私に商売の事を興味深く聞いていました。当時から大森さんは家業の割烹を継ぐことを胸の内に秘めていて休みの日にはお手伝いは勿論、料理の勉強をしていました。(調理師免許も大学卒業後に取得しています)
知り合って数年後、白山麓木鶏クラブの代表世話人をしている玉木さんと私に「市役所を辞めて自分で商売がしたい」と真剣に話しました。玉木さんと私は「商売って決して楽でないし苦しいけど素晴らしい仕事だよ。一緒に頑張ろう!」と励ましました。
ところが、奥様、御両親はじめ親戚の方など周りの方全てが「安定している公務員をなぜ辞めるのだ」と猛反対。孤立状態に・・・。「相談なんかするから反対されるんだよ・・・。辞表を出して報告にすればいいんだよ」などと私らは勝手に煽ってました。
それから1年2年3年4年と時間だけが過ぎていきます。それでも大森さんは「自分で店をやりたい」と言っていました。そうなると私から見ると御家族の反対という事情も判るけどそれ以上に大森さん自身の決断力というか決意を疑うようになっていました。ですから大森さんが「やりたい」と言うと今度は私が「決断できない人は自分で経営なんか出来っこないよ」と止める側に付いてました。
今年の春、大森さんの奥さんから私に「大森が市役所を辞めようとしています。山下さん止めてください」と電話がありました。奥さんの話を聞き大森さんの話を聞き1週間くらい間に入り何回も話し合いました。
奥様の心配も理解できます。私も大森さんの年齢(45歳)などを考えると10年前のように賛成できません。ただ、奥様の「公務員でないと一緒にやっていけない・・・」という言葉に違和感も感じました。
ある日大森さんは秋に控えた国民文化祭に参加する小学生の歌のオーデションに審査員として出席していたそうです。その時ある女の子がオリビアニュートンジョンのカントリーロードの日本語バージョンを歌ったそうです。その歌の歌詞が自分で決めた道を辛くても歩いていこう・・・と言うような内容だったそうです。それを聞いていた大森さんは審査員でありながら目から涙が溢れてきて止まらなかったそうです。
その日の午後、この話を大森さんは私に喫茶店で泣きながら話しました。「やって失敗して後悔するのも嫌だけど、やらずに後悔するのはもっと嫌だ!」45歳のいい大人が喫茶店で人目を憚らず泣きながら言ったこの言葉が私の胸を突き刺しました。今度こそ本気だ。
大森さんは秋の国民文化祭のために休日返上で働き成功に導き自身に与えられた責任を果たし今日、区切りの日に退職しました。
大森さんは自分の気持ちに正直に自分の道を歩み始めました。この道は茨の道です。それを承知で覚悟をして歩み出しました。そんな大森さんに心からエールを送ります。
「いち にー さん だあーーーー!!!」
御家族も必ず大森さんの生き様を見てくれると信じます。
お互い頑張りましょう。